脱不登校

不登校と呼ばれてからの経緯や流れ

藁をもつかむ想い 親のアクションから最終的に選んだ 不登校の親の会

不登校8ケ月目くらいから

藁をつかむ想いで、親のアクション1~5まで不登校の親のための会に参加してきた

中で、定期的に参加をする親の会を選ぶことにしました。

 

アクション4 フリースクールの親の会 

フリースクールは、とにかく居心地が良く安心して話せる場所だった。

 

アクション5 不登校児に特化した中学校の親の会 

不登校児に特化した中学は、当時小学校6年生の我が子の

    状況に似た、ご家庭の方が多く集まる会で、非常に参考になるアドバイスや情報も

 多く得られる会であったから。

 

 上記は、親だけの参加でして

 

子どもは、外出は全くできないものの、大学院生のMさんが自宅に来てくれる

不登校訪問支援を定期的に月1回、無理なく受けられるようになっていきました。

 

カウンセリングも定期的に受診したかったのですが、そもそも子どもを家から外に

連れていけないし、

不登校の先輩保護者からは、「あまりあちこちと連れまわさず、休ませた方が~」

との助言もあり、やめにしました。

 

藁をもつかむというよりか、わらしべ長者のように次から次へと得た、不登校に関する情報にいざなわれながら、最終的な居場所を見つけられたように思います。

 

だからと言って、子どもがすぐに回復したということでは、けしてないのですが

親の会に参加した日は、少なくとも親の疲弊感、重く余裕のない心が

軽くなったと感じられるようにもなりました。