脱不登校

不登校と呼ばれてからの経緯や流れ

不登校児 平日 昼間は何を食べている。。。

平日、仕事に出かけている間、

不登校で自宅にいる我が子のお昼について聞かれることがありましたので

 

最初の内は、お弁当や簡単なお昼(焼うどん、サンドイッチ、オムライス等)を

作りおきしていました。

 

そのうち、お弁当には手つかずのまま、そのままになっている日々が

多くなってきたので

「どうして食べないの?」と尋ねると

「食べる気がしない。おなかすかない。」と話していました。

 

それでも、いつものようにお昼に食べるものを用意して仕事に出かけた

ある日、帰宅すると、キッチンに使った後のうどん用どんぶり🍚が

無造作に置いてありました。

 

「これどうしたの?」と私が聞くと

「うどん。自分で作って食べた。」と我が子が言うので

「ガスは、一人でいるときは使わないでって約束したよね。。。」と私が話しだすと

本人曰く「冷凍食品のうどんをどんぶりに入れて水いれて、電子レンジでチンしたから

ガスは使ってないよ。」

とのことでした。

 

何だか、好きなユーチューバーが料理を作っていた配信を観て

自分も真似してみたくなったとのことでした。

 

不登校ライフ半年以上たち、無気力だった我が子が、自分で行動して作ったことは

些細なことでも、喜ばしい出来事でありました。

 

親の会で、不登校専門の相談員さんが

不登校児は、自宅に居ながらにしても何かしらで成長していく、それは大人が考える

狭い勉強、いわゆる学校の教科学習ではありません。

広い勉強です。自立する力にもつながっていく力になっていくものです。」

と、仰っていたことが、頭に浮かび自分なりに理解しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

外出できないが髪の毛、切りたい! 訪問美容室、利用してみた。

不登校から8か月たった。

外出できずにいる我が子が、伸びてきた髪の毛を切りたいようだった。

 

そこで、訪問美容室を初めて利用することになりました。

(通常は、介護対象のシルバー訪問がメインらしい)

 

といういのも、毎月訪問支援してくださる、大学院生のMさんと会うために

身なりを整えていきたい気持ちになったから。

 

以前に訪問支援のNPO団体の方が

「訪問支援を受けると、今まで気にしていなかった身なりを整えはじめたりする。

普段、社会と距離を取っていると、どうしても身だしなみが、雑になってくるものです。

訪問支援という形で、社会とつながりを持ち、本人の意識に変化をもたらすことは、こちらの支援がいい方向にはたらいていることになります。」と、仰っていました。

 

前提としては、訪問支援受けられる状態であれば、一つの手段となる。

 

訪問美容室の当日。

家の中に入る前に美容師さんに簡単に我が子のことを話しておきました。

・わけあって、しばらく外出できていないこと。

・沢山、話かけられたりすることが苦手

 

美容師さん、すぐに理解してくださり

 

我が子とは、挨拶と仕上がりの感想だけ言葉を交わし、全45分程で終了

 

本人も髪を切った後

いつもより笑顔を見せて、すっきりした表情になっていました。

 

訪問支援からの訪問美容室?!の不思議な流れに半信半疑にはなりましたが

 

前に少しだけ進んでいけたことを実感した出来事となりました。

 

 

 

 

 

 

不登校児との向き合い方 仕事を辞めるべきか悩んだ日

我が子の不登校ライフが始まり、仕事はどうするべきか、結構悩みました。

共働きだったので、片方が辞めて子どもの側にずっと一緒にいることにするべきか。。。

 

ある日、我が子に「仕事辞めて、一緒に昼間、家にいようかと思ってる。」と話すと、

即答で「仕事は行っててよ。辞めないでよ。」と返事が返ってきました。

 

親の会で相談したところ、「自分のせいで、親に仕事を辞めることまで、させてしまった。」と、自分自身を責めてしまい、逆に子供に気持ちの負担をしいてしまうそうです。

後は、昼間の誰からも制約を受けない自由な時間を満喫できるからとの事でした。

 

親の存在って、いったい何なんだろうと、一瞬さみしくも思いましたが、

自分も子どもの立場であれば、自由に過ごしたいだろうなぁ~と納得。

 

平日昼間は、専らお留守番をお願いし、一人ですごしてもらっていました。

 

仕事に出かける前に子供の好きな食べ物(おやつ)を聞いて、買って帰る日々でした。

仕事から帰宅後、一緒に食べながら、のんびりしたコミュニケーションタイムを

とっていました。

 

その他、下記のようなスケジュールでアクセントをつけて、当時は過ごしていました。

 

月に2回 親の会参加

月に1回~2回 大学院生の訪問支援 

2、3ケ月に1回は、学校担任の訪問 

時々、友達が自宅に訪問、ゲームで遊ぶ

 

あの時は、無為に時間が経過していくように思えてしまうこともありましたが

あの時はあの時で、貴重で幸せな時間の過ごし方だったのだとしみじみと感じています。

 

 

 

 

 

 

 

藁をもつかむ想い 親のアクションから最終的に選んだ 不登校の親の会

不登校8ケ月目くらいから

藁をつかむ想いで、親のアクション1~5まで不登校の親のための会に参加してきた

中で、定期的に参加をする親の会を選ぶことにしました。

 

アクション4 フリースクールの親の会 

フリースクールは、とにかく居心地が良く安心して話せる場所だった。

 

アクション5 不登校児に特化した中学校の親の会 

不登校児に特化した中学は、当時小学校6年生の我が子の

    状況に似た、ご家庭の方が多く集まる会で、非常に参考になるアドバイスや情報も

 多く得られる会であったから。

 

 上記は、親だけの参加でして

 

子どもは、外出は全くできないものの、大学院生のMさんが自宅に来てくれる

不登校訪問支援を定期的に月1回、無理なく受けられるようになっていきました。

 

カウンセリングも定期的に受診したかったのですが、そもそも子どもを家から外に

連れていけないし、

不登校の先輩保護者からは、「あまりあちこちと連れまわさず、休ませた方が~」

との助言もあり、やめにしました。

 

藁をもつかむというよりか、わらしべ長者のように次から次へと得た、不登校に関する情報にいざなわれながら、最終的な居場所を見つけられたように思います。

 

だからと言って、子どもがすぐに回復したということでは、けしてないのですが

親の会に参加した日は、少なくとも親の疲弊感、重く余裕のない心が

軽くなったと感じられるようにもなりました。

 

 

 

 

 

変化のない日々に見えたとしても 不登校児は成長してる

我が子が不登校になり、外出はもちろん、家から10メートルない自動販売機にジュースを買いに行くことすらできなくなって、半年以上経過

 

自転車にも乗らなくなった

夏なのに長袖を着るようになった。極力、肌を出したがらなくなった。

 

学校シーンがテレビに出てくると泣き出しパニックにもなった

食欲不振が続いたり。。。

 

今、思えば親にとっては心配の連続で、ただただどうにかしたくて東方西走した日々

親だけ、通勤したり不登校関連の集まりへ出かけたり

帰宅して子の姿を見ても、何も変わらず変化のない日々と当時は感じて

いましたが、そうではなかった。

 

何もない日々でも、子どもは成長してる、自分で何かを考えてる。

ずっと後になって、わかった。

 

静かに見守りながらゆっくり休ませる期間は、必要であった。

変化がないように見えても、今が全てではないこと。

 

何もない日々の積み重ねを経て、また歩きだす日が訪れる。

 

 

 

 

 

 

不登校の我が子にゲーム教わる! 

動けるだけ動くをモットーに親として動いていた。と世間向けには話してきましたが

家にずっと我が子といるのが良いのか、かなり迷いながらの行動だった。

 

どうにかしないとどうにかなってしまう。。。何か答えを見つけたくて。。。

 

少々遠くてもあちこちへ不登校の親があつまる場所へ出かけていた私。

 

最初は、気が狂ったように何かを探していたが、段々いろんな場所で、多くの方の

体験談や専門的話をきいていくうちに、不登校の親として落ち着いてきた感じが

自分でも感じられるようになった。

たぶん、覚悟というか開き直りが、私にもゆっくりと出てきた。

他の同じご状況の方のお話を聞くって、想像以上に私には得るものがありました。

 

どこかの団体の方が「この後、この子はどんな風に育っていくのだろう。と、面白がって見ていけるように。」と不登校の親のわたしらに話してくださった。

 

そんなこと無理無理、面白がるなんてと思ってはいましたが、なんでも試していこう。

変えていけることはトライしていこう~と、

 

親がいない間は、好きなだけゲームに没頭してる我が子へ暗い顔になりがちでしたが

一緒に楽しむ。笑う。増やしていきました。

 

ゲームのハンドル名をわたし自身も作り、我が子にゲームを教えてもらう生活も

しばらく続けてみたりもしました。

 

外には出られない我が子ですが、一緒に笑ってゲームをするは、大切な一歩となりました。

 

 

 

不登校訪問支援 初日

 

当日、訪問しても、会う事を拒否されてしまうことも多いと、NPO団体の担当者から前もってアドバイスがあり心配ではありました。

普段、人と話す機会を大きく失ってしまった不登校は、「誰かと話したい」という気持は、存分にあったとしても恐怖や不安で大人たちの想像以上に心の障壁が高いとのこと。

 

大学院生のMさんが、我が家に初めていらしたときは、我が子は2階の自室に鍵をかけて

部屋に籠っていました。

私がドア越しに呼びに行きましたが、出てこず。無反応。

やっぱりダメかあ~⤵と、半ばあきらめてもいたので、しつこくせず2階から下りて

1階で待つMさんへ、その旨をお伝えしました。

 

Mさんが、「僕が直接声かけてきます。いいですか?!」と私のうなずく表情を見ると

すぐに2階の我が子の籠るドア越しへ。

ポケモンゲームやってるの?! レベルは?何で戦うの?! へー、その技は知らないから少しだけ見せてくれる?!」のような、問いかけに

 

我が子「うん」

Mさん「じゃあ、下で待ってるよ。」

 

我が子は、すんなりゲームのある1階まで下りてきたのです。

 

1階リビングでMさんの横並びに座り、我が子がゲームしながら得意げに話して

いる姿には驚きでした。

同じ年でもなく、全く違う住所地からのMさんは、我が子にとっても安心して同じ空間を共有できる人だったようです。

 

時間は初回の為、1.5時間でしたが通常2時間になります。

 

本人の希望により、毎月1回遊びに来ていただくことにしました。